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碧海の豊かな風土で可能性を育てる

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〒447-0871 愛知県碧南市向陽町4-12

 校長コラム PRINCIPAL'S COLUMN   



5.10.1  

校 長  鈴 木 尚 哉 

碧南高校の正門から入ってすぐ東側には写真のように「松宮殿下御手植記念樹」と記された石碑があり、その裏側には「公孫樹 昭和四年十一月二十五日」という記載があります。
この「記念樹」とは、石碑のそばにある銀杏(いちょう)の木のことをさしています。松宮殿下とは、かつて存在した「松宮家」の当主であり、明治末から昭和時代を生きてこられた「松宮宣仁(のぶひと)親王」という方のことです(以下、現代の宮家に対する一般的な呼称に倣って「松宮様」と表記します)。松宮様は現在の天皇陛下より2代前の昭和天皇の弟にあたり、明治38年(1905年)に大正天皇の三男として生まれました。海軍兵学校・海軍大学校で学び、その後、戦艦比叡の砲術長、海軍横須賀航空隊教官、大本営海軍参謀などを務め、戦争直前や戦時中は戦争に対しては否定的・反対論を唱えていたといわれています。
松宮様は昭和4年に碧海郡内の農業と学校教育の状況を視察された際に開校後間もない、当時「碧南国民学校」という名称であった碧南高校に来校されました。来校に際して「菓子料」(お菓子などの代金)という名目で頂いたお金をもととした基金を創設し、その利子をもととして優秀な生徒の表彰に充てており、これは昭和20年まで続いていました。写真のメダルは表彰された生徒に贈られたものです。
なお、石碑の裏に書かれた「公孫樹」とは銀杏(いちょう)の別名です。銀杏は長寿の木であり、公は「祖父」を意味し、「銀杏は植えると孫の世代になり実を食べることができる」といういわれに基づくものです。学校が末永く続くことで銀杏の実がなるように地域の人材を育て、地域が繁栄していくことを願い、この木を選んだと考えられます。
ちょうど写真を撮影した時に、この銀杏の木には実がたくさんなっていました。碧南高校は令和8年度に創立100周年を迎えます。この約100年の間に様々な歴史を刻んでおり、この松宮様のご来校は、碧南高校の歴史の中で記憶しておくべき出来事のひとつといえます。