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碧海の豊かな風土で可能性を育てる

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〒447-0871 愛知県碧南市向陽町4-12

 校長コラム PRINCIPAL'S COLUMN   




4.10.1  

校 長  鈴 木 尚 哉 

校長として本校に着任して2年目になります。碧高祭を昨年、今年と見てきて、そのあり方にいくつか疑問が湧いたので調べてみました。

 疑問1 なぜ応援合戦で学生服とチアの2種類が行われているのか?
 団編成により学校祭、応援合戦を行う学校は多くあります。応援合戦は学生服による伝統的な応援を基本とするもの、オリジナルの衣装によるダンスを基本とするものに大別されますが、基本的には応援合戦は各団1つが自然です。しかし碧南高校は伝統的な応援とチアの2種類が併存しています。なぜなのでしょうか。

 考察1 碧南高校のもととなる碧南国民学校の教育組織と行事に由来
 碧南高校は大正15年に愛知県碧南国民学校として開校しました。なお、戦前に起源をもつ高等学校には旧制の中学校(男子のみ、例:現刈谷高校)、旧制の高等女学校(女子のみ、例:現刈谷北高校)、実業学校を起源とするもの(男女とも在学、ただしクラス別)に大別されます。碧南高校の前身である碧南国民学校は3つ目に該当しますが、本科においては普通教育が行われ、クラスこそ異なるものの男女ともに在籍し、行事は合同で行ってきました。写真は碧南国民学校時代(昭和初頭)の運動会での女子のダンスの風景です。当然、男子生徒による応援合戦もありました。運動会では女子の演目と男子の演目の2つの流れが併存してきました。途中、碧南商業学校時代を経て昭和23年に新制高校へ転換しました。女子のダンスは昭和の後半まで行われましたが、途中で応援と一体化し、現在の形態になったと考えられます。応援合戦が2種類行われている源流は、国民学校時代からの男子生徒を中心とした応援合戦によるものと、女子生徒によるダンスがもととなったものとの2つがあるのです。             碧南国民学校時代の女子によるダンス(AIにて彩色)

 疑問2 なぜ分団は4つなのか?
 学校祭を複数のクラスによる団編成を行っている高校では、多くの場合、各学年から1クラス、計3クラスにより1つの団が編成されています。なぜ碧南高校の分団は4つなのでしょうか。

 考察2 碧南高校の起源の碧南国民学校を設立したのが4町村であったことに由来
 4つの分団の記録がはっきりと確認できるのは昭和29年度であり、この年に現在の分団名のもととなる、「赤シャツ(後の赤誠)、青陵、白虎、玄黄」の名称が作られました。また、それ以前にも分団形式で行われていた記述も存在することから、新制高校発足後まもなく、分団形式になっていたことと思われます(戦前に分団があったかは未確認)。そして分団は、クラスごとではなく、出身中学校(地区)別となっていました。昭和29年には、【赤シャツ分団】旭・刈谷・西端・高浜、【青陵分団】新川のみ、【白虎分団】棚尾・西尾・一色・吉良・幡豆・安城・高岡・大府・亀崎・挙母・名古屋、【玄黄分団】大浜・知立、により団が編成されていました。この地区分けの先頭の「旭、新川、棚尾、大浜」は碧南市のもととなった4つの旧町村であるとともに碧南高校の前身の碧南国民学校の設立母体となっています。つまり分団はこれら4つの旧町村を基準とし、その他の地区で人数調整をして編成されたのです。団が4つの理由は、碧南国民学校を設立した町村が4つであったからなのです。