2.7.1
校 長 伊 豫 田 祥 子
令和2年度がようやく始まりました。学校再開というよりも再会を喜び合う姿に精神の健康を感じます。毎日登校する、週末にも試合や発表会がある、といった日常が、実はあり難い(当たり前にあるわけではない)ことだったのだと思い知らされました。
長引く臨時休業に、先生方は授業のできないもどかしさを募らせていました。オンライン学習支援がどれほど充実していたとしても、学校はやはり集うところです。時と場を共有し、顔を合わせて語り合い、時には摩擦を生みながらも譲ったり主張したりして社会性を高度に身につけていくところ、今の苦しみを確認しあいながら将来の夢を育むところ、それが学校なのだと、改めて思います。
中学生体験入学は、感染拡大予防と授業の補充により例年どおりにはできないため、碧南高校では秋に「説明・一部体験」の会を実施します。夏に案内を差し上げます。いらしてください。
新型コロナウィルス感染症について、科学的な解明が少しずつ進んでいるようです。「正しく恐れる」ことが大切だと言われます。科学的根拠のないデマや迷信に振り回されてはいませんか。「イワシの頭」(イワシと柊を玄関先に飾って魔除けにする風習)と同じように、それで気持ちが落ち着くのなら信心していてもかまわないでしょうけれど、「アマビエ」が感染予防に効くとは科学的にも歴史的にも認められていません。
Stay Homeと言われた期間も私たちの命や暮らしを支えるために現場で働く人々を、私たちはどれほど支えられたでしょうか。指示されたことを実行するにとどまり、それ以上のことはできていないと反省しています。皆さんは、医療や介護のスタッフ、発症者の家族、活動ができなくなった職場の人たちを温かい気持ちで応援し、何らかの方法で伝えましたか。
感染症との付き合いは長い期間になるだろうと専門家は言っています。友達付き合いも体は少し離し、ネット上のつながりが多くなるのでしょうか。しかし、どんなに変わっても人間は自然と文化の中に生まれ育つ生き物です。画面に映る絶景に感嘆しながらも、ありふれた街路樹の新緑や匂いに初夏の訪れを肌で感じ、自分が生きていることを実感するのは、人間が自然の一部であるからではないでしょうか。
この春は、耐えることが多くあったように思います。考えることも多くありました。そんな春もあるのですね。それにしても、古代から近代の哲学者たちはこれらのことにとっくに考察をめぐらしていました。古典は過去に生きた人の記述なのに、未来に生きている、不思議な魅力を持っています。読み込んで、皆さんと一緒に語り合いたいものです。